竹田南高等学校

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しつけを重んじる教育

自由でのびのびということが マナーや礼儀を欠くことになったらおかしい。
自分がいて、他者がいて、お互いに違うもの同士が折り合いをつけながら生きている。
そこに、自分と人をつなぐ潤滑油がいる。それがマナーであり礼儀だと思っている。
だから、私たちはしつけを重んじる教育を大事にする。
 
礼儀やマナーは「身につける」ものです。知っているだけでは役に立たない。
日常、繰り返して身体で経験して初めて身につくもの。
あいさつは、人と人の間をつなぐ合図になる、相手を無視しないという意思表示でもある。あいさつを交わすことで、もっと積極的に相手への敬意まですすみたい。
 
感謝の気持ちを力まず伝えられるようになりたい。マナーに上下関係はない。お互いに人間として対等な立場でいれば何でもないことでも感謝は伝えられる。こんな日常の心配りの積み重ねがその人の価値を高める。相手の人格をちゃんと認めることにでもある。こんな人間らしさをなくしていないか。
 
人の話をちゃんと聞くことも大事だと思っている。まずは、相手の言うことに耳を傾ける。おもしろい話もおもしろくない話もある。だが、聞かないことにはコミュニケーションは始まらない。人の話を聞く姿勢はこころの柔らかい時期にこそ身につけておきたい力だ。自分の言いたいことばかりを声高に叫ぶようなことになってほしくない。
 
社会生活の約束ごとも身につけておきたい。時間管理のしかたを身につけたり、自分の責任を果たすなどは練習しておかないと、社会でいざというときに行動に結びつかない。学校は、社会生活をスムーズに営むために人間として守るべき品位ある行動を鍛えるところでもある。
 
大人がわかったようなふりをして、権威を振り回すばかりで、礼儀やマナーを欠いてはならない。大人自身も不十分を知って努力をしなければならない。他者に敬意を払うことに裏づけられた礼儀やマナーを大事にし、世の中には信頼できる大人もいるといわれたいと思う。
 
社会でよりよく生きるために、竹田南は「しつけを重んじる教育」をすすめる。

(2012年5月1日)

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薫風=風薫る5月

 

今、141名(平成24年5月現在)が学んでいます。
3年生の姿には、これまでの本校での生活の中で各自が有形無形に創り上げてきたものが、形や雰囲気として感じられます。
2年生の姿には、入学から1年間のさまざまな葛藤や困難を各自の事情や方法でしのいできた結果が、形や雰囲気として感じられます。
1年生の姿には、「中学校から高等学校へ進学した」という事情だけでは片付けられないもっと大きな各自を巻き込んでの「環境の変化」にとまどっている様子が、形や雰囲気として感じられます。
新しい環境の変化、この竹田という土地で、学校生活の中で、親元を離れての寮や下宿生活の中で、部活動や仲間との交流の中で、自分の居場所を求めて、揺れ、うごめく日々を懸命に送っています。
温かく厳しい目で生徒を見つめ、そして寄り添い粘り強く指導の手を緩めない我が校の教職員集団の日々の奮闘努力が、学年進行に伴う生徒の姿、形や雰囲気を創ります。
教育においては、教える側と学ぶ側の絶妙のタイミングが何より重要とされなければならないと教える「啐啄同時(そったくどうじ)*」という言葉が校長室に掲げられていますが、経験豊かな本校の教職員の指導は、もう「我が校の文化、校風」と言ってよいほどの見事さであり、私の誇りとするところです。
今日もまた、「校長先生、少しお話してもいいですか?」と生徒の誰かが校長室をノックし、ひょっこりとやって来そうな予感がします。外は、鮮やかな新緑が目にしみます。

(平成24年5月15日 校長室にて)

* 「啐啄同時(そったくどうじ)」
「啐」は、卵の内側から雛が声を発して殻から抜け出る意を告げること。
「啄」は、親鳥が殻をつついて雛の出るのを助けること。
逃すべからざる絶好の機会。     -「新 漢語林」大修館書店 よりー

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